コーヒー 3000文字
「坂本、お前顔が死んでるぞ」
根詰めてパソコンに向かい合っている私に同居人はよくコーヒーを入れてくれる。
「少しは休めよ、リモートワークの利点を活かせ」
「ごめん、20分後に会議が始まるから直前に起こしてほしい」
「寝るのか?コーヒー入れたのに」
「もう4杯目だよ。起きたら飲むから」
座椅子を倒して目薬をし、蒸しタオルを目頭に置いてお気に入りの音楽をiPodから流す。これが私の仮眠体勢だ。
「坂本!そろそろ会議だぞ」
一瞬だった。あまりに疲れすぎていたせいか”落ちる”のに数秒も掛からなかった。
体を起こして時計を見れば確かに会議が始まる数秒前だった。
「うお!始まる!」
冬の室温に冷やされたコーヒーを一息に飲み干し、慌てて会議参加ボタンをクリックする。
「ギリギリですみません、お疲れ様です」
「坂本さんお疲れ様ですぅー」
「……なのであそこのレイアウトは変更する必要が……」
「……でしたらB案の方が要望に適してるような……」
ダメだ、寝起きすぎて全然話が頭に入ってこない。まるで頭にモヤが掛かっているようだ。
「坂本さんとしては、どのテーブルがいいですかね?」
しまった、こういう時に限って私に声がかかるんだ。何の話をしていたんだ?とにかくなにか答えなきゃ。
「茶色のテーブルがいいんじゃないですかね?部屋にマッチしてると思います」
「はあ、なるほど」
「となるとイスは来客用に4つぐらい用意した方がいいかもしれないですねぇ」
よし、反応を見るになんか良い感じに答えられたようだ。しばらくこれで話を振られる心配はないだろう。
「それじゃあお疲れ様でした。明日もよろしくお願いしますぅー」
「はい、よろしくお願い致します」
会議から脱出し溜めてたあくびを大解放する。体内の生暖かい空気と部屋の冷えた空気が入れ替わり、脳がダイレクトに冷やされる。
「会議終わったか」
同居人がコーヒーを持ってやってきた。
「起こしてくれてありがとう、今日の勤めも終わったよ」
「じゃあこのコーヒー飲んだら買い物だな」
湯気が溢れ出るコーヒーは見るからに熱そうで、猫舌の私が飲み干すには少し時間が掛かりそうだった。
「醤油あったっけ?パンも買い足さなきゃかもな」
「確かお酢が少ししかないから、買い足した方がいいかも」
「ちょっと冷蔵庫見てくる。少し休んでて」
コーヒーの蒸気によって、まるで正月のこたつで寝ている時の気分に襲われる……
「坂本!会議の時間だぞ!」
同居人の叫び声に驚き、慌てて蒸しタオルを脇にどけて時計を見た。
もう会議が始まって十数分経っている。ドッと変な汗が出た。
「もっと早く起こしてよお!!」
「起こしたわ!起きなかったけど」
同居人に喚き散らしてもしょうがない。しょぼくれながらiPodに挿していたイヤホンをPCに刺し直し、会議への参加ボタンをクリックした。
「すみません、遅れました……。お疲れ様です」
「坂本さんお疲れ様ですぅー 遅刻って珍しいすね」
「……なのであそこのレイアウトは変更する必要が……」
「……でしたらB案の方が要望に適してるような……」
普段こんなミスなんてしないので、自分が許せなかった(ちょっと同居人も許せないけど)。ショックで全然話が頭に入らない……
「坂本さんとしては、どのテーブルがいいですかね?」
「は!?……茶色のテーブルとかいいんじゃないでしょか……」
「茶色?何の話です?要望に上がってる今度アプリに追加する顧客データリスト画面の話ですけど」
「え!?あ、はあ、すみません……」
「坂本さん疲れてるんです?最近遅くまでログインしてる所見ますし、休んだ方がいいすよ」
「すみません……」
あーーーーー、やってしまった、やってしまった。何を意味の分からないことを言ってるんだ私は。いやだ、いやだ、いやだ。
というか私がここまで根詰めなきゃいけないのは誰のせいだと思っているんだ。私だって休みたいのに、毎日お前の方が早くログアウトしているのは何故だ。嗚呼。
「坂本~そろそろ着くぞ」
瞼を開けると、イケアの看板が見えてきた。今日はテーブルを買いに来たのだ。
「よく眠れたか?前に1回下見で来たから助手席の助けがなくても辿り着いたぜ」
これは自慢と皮肉の合せ技だろう。私は苦々しくなった口の中を、ドリンクホルダーの冷えた缶コーヒーで洗い流した。
「坂本これ気に入ってたよな。この木材のテーブル」
「そうそう、このシックな色合いが部屋にマッチすると思うのよね」
「随分と幅があるぞ。ドアから入るか?」
「そんときは、君が窓から入れてくれりゃいいよ」
「うちの部屋4階だろ」
無事テーブルとイスを購入し、郵送してもらう手筈も整った。私と同居人は休憩コーナーで軽食をいただくことにした。
「そういえば、要望に上がってる顧客リストの話どうするよ?」
「あー、他の要望が切羽詰まってるから今度のリリースには間に合わないな。適当な理由付けて伸ばしとくよ」
「クライアントが文句言わきゃといいけど」
同居人からなんで仕事の話が出るんだ?会議の音声が聞こえちゃったかな。
「坂本、コーヒー飲まないのか?」
「いや、私猫舌だから熱いままじゃ飲めないのよ」
「コーヒーは熱いのが一番いいぞ」
そこまで言うなら、と私はコーヒーを口元まで運んだ。
熱い湯気が目に入ってきて、ギュッと瞼を閉じた。
「醤油はあったけどパンは無えな。買わなきゃダメだ」
「……え?」
気がつくと私は自分の部屋に居て、いつもの仮眠体勢で眠りに落ちていた。同居人は台所で冷蔵庫の中身を見ながらぶつくさ言っていた。
「お、起きてる。」
台所から戻ってきた同居人が私を見て少し驚いている。
「私どれぐらい寝てた?」
「10時間ぐらい寝てた?」
「今日何曜日?」
「金曜日?」
金曜日と言ったら、会議の日だ。慌てて時計を見るととっくに会議は終わっている時間だった。がっくり。
「すげえ寝てたけど、今日仕事無いの?」
「仕事あったんだよ……完全にすっぽかしちゃったけど」
「あらまあ」
チームメンバーから生存確認の連絡が来ているが、返信する気にもならない。今日は完全に無断欠勤だ。
「ねえ、コーヒーは?」
「コップに昨日入れたのが入ってたから捨てたよ」
「新しいの入れてよ」
「これから買い物に行くんだぞ?猫舌の坂本が飲み切るの待ってたらスーパーが閉じちまう」
コーヒーをまだ飲んでないのに口の中が苦い。嫌味を言われるといつもこうなる。
「スーパーで缶コーヒー買ってやるよ。私の奢りでな。その後テーブル見にイケアに行くぞ」
「そりゃどうも。100円奢ってもらえてうれちいうれちいだね」
夕方6時の冬の外は、いくら厚着しても着足りないぐらい寒かった。
「どえりゃあ寒いよ、息が真っ白」
「あー、缶コーヒー1億本買うか」
「こんな気温じゃあ温かく飲めるのは3本目ぐらいまでだろうね」
「じゃあ買うのは2本だな。だって……」
「あーあーはいはい分かった分かった」
「なんだよ」
「”コーヒーは熱いのが一番”、でしょ?」
「なんかすごいキメて言ってるけど、それってなんかの決め台詞なん?」
流石にもう夢じゃなかったか。